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QnrI7gzw3gn5MhB1/8 7:05Dom/Subユニバースの本橋と猿川
恋愛要素無し
オチも無し(完成していないから)
「……え、意味分かんない。何かの間違いでしょこれ……」
 にわかには信じがたいものを目にし、本橋依央利は愕然として思わず声を洩らした。
 それというのは、先程郵便受けから取り出した一通の書類である。表に「診断結果在中」とあって、何の診断かというと、この世界に存在する第二の性別(Dom、Sub)を自分が持っているのか、持っているのであれば自分はいずれの性別に当てはまるのかということが分かるものである。そして彼に届いた診断結果が示すのは、「本橋依央利はDomである」という、彼に多大な衝撃を与える事実であった。
 「服従のカリスマ」を名乗る彼が、自分はSubであると信じて疑ったことは無かった。この診断は成人した者が自らの意思で受診することを推奨されているものであるから、彼もこれまで正式な診断を受けたことは無かったのである。しかし彼を知るどんな人に聞いてみても「あいつはSubだろう」と答えるであろうし、インターネットや書籍などに掲載されたセルフチェック表で調べてみても、Domであるという結果が出たことはただの一度も無かった。
 これはいかなることか。診断を受けた機関で手違いがあったに違いない。そもそも自分から「服従する」ということを除いてしまえば、存在意義そのものが危ういのである。彼は一瞬にして早まった鼓動をゆっくり落ち着かせながら、これは何かの間違いであるということを自らに諭すように深呼吸をした。
「……ちょっと楽しみにしてたのに、拍子抜けだなァ」
「何が?」
 独り言のつもりで呟いた言葉に、本橋の背後から返答があった。
 驚いてバッと振り返ると、それは猿川慧の声であった。早朝であるから誰かが居間に居るとは思わず、心臓がドクンと跳ねて手から書類が滑り落ちた。
 猿川はそれに目ざとく気付き、本橋が止める前に指先でひょいと拾い上げて書類上の文字を目で追った。読み進めるにつれて、明らかに面白いものを見つけた、と言うような表情が彼の顔に浮かび、それを見た本橋は一つの恐ろしいことが頭に思い浮かんで顔から血の気の引くのを感じた。
 つまり、他の人にこの診断結果が知れると、事実がどうであれ自分に命令を下してくれなくなるのではないか、と考えついたのである。いわば政治家のクローゼット問題のように、Subであることにコンプレックスを感じ、カムフラージュのためにわざと高圧的な態度をとる人は珍しくなく、Domの場合もまた然りである。もしもそのように勘違いされたら、自分を奴隷としてくれる人がいなくなってしまう……。彼の心臓がドクドクと激しく鼓動し始める。それだけは、自分が「滅私、貢献、奉仕」をすることが出来なくなることだけは、彼にとって命を失うことよりも絶対に防ぐべきことであった。
「いお、Domだったのかよ」
「か、返して」
 猿川は紙をひらひらと右手で弄びながら、口の端をにやりと歪ませて言った。
 本橋はそれどころではない、紙を掴もうとして猿川に飛びかかるけれども、猿川はそのたびに上手く交わして、小馬鹿にしたような態度をとる。
「はー、服従のカリスマが、まさかDomとはなァ」
「返して、ってば、ねェ」
「理解ー! ちょっと来てみろよ!」
「やめて! 猿ちゃん、返し」
「いおが──」
『返して!』
 静かな空間に、本橋の声が響いて長い余韻を残した。
 と、猿川の膝がまるで後ろから力をかけられたかのようにカクンと折れ、彼は一切の抵抗無しに床にへたりと座り込んだ。そして、手に持った紙を呆気なく本橋に差し出す。彼の顔には困惑と、この状況に抗おうと試みる色が浮かんだけれども、瞳だけは本橋の方をうっとりと見上げるのであった。
 本橋はハッとして、紙を受け取ってから猿川の前に跪き、彼の顔を両手で挟んでゆすった。
「さ、猿ちゃん? どうしたの」
「……」
「猿ちゃん? おーい」
 猿川はボウッとした顔で本橋の声を聞いていた。いつもの、何もかもを突っぱねて我が道を行くのだという強気な表情は面影もなく、微睡んでいるかのようなおぼろげな表情がこのときの彼の顔には現れていた。
 本橋はその様子を見て、そしてア、とまた思いついて愕然とした。もしも先程の『返して』という自分の言葉が今の猿川に作用しているのだとしたら。猿川の第二の性別について聞いたことはなかったけれども、Domである自分の言葉にこの反応を示したとなると、彼がSubであると考えるのが妥当である。しかし、「反発のカリスマ」を名乗る彼が、である。あれほど他人からの指図を嫌う彼が。
「……あ……?」
「猿ちゃん?」
 ふ、と彼の表情が元に戻った。
 本橋がほっとして声をかけると、猿川はしばらく体を硬直させてから、唐突に立ち上がってダッとその場を立ち去ろうとした。
「ま、待って」
 狼狽えた本橋の制止の声は先程の言葉程の威力を持たず、先まで猿川のいた空間に虚しく残留した。居間から出た途端に猿川とすれ違った草薙理解のもの問いたげな表情に、本橋は曖昧な笑みを返すことしかできなかった。



 この後、猿川は一日中一度も同居人たちの前に姿を現さなかった。食事ができたと呼びに行っても返事は無く、扉を開けようとすると強い力で押し返された。
 本橋は焦った。DomがパートナーでもないSubに何の承諾も得ずにコマンドを出すことは、たとえ意図せずしたことであれ重大なマナー違反であるし、Subの尊厳を踏み躙るとんでもない行為である。謝らなければならない。本橋がDomであると知ったときの猿川の行動は、よく考えてみればあれは彼がSubという性別を持っているが故の過剰な反応であった。普段の彼であればあそこまで人を馬鹿にするような態度はとらない。彼は往々にして他人の悩みごとや秘密に対して寛容であり、また深く干渉することを嫌っている。
 咄嗟のことであったとはいえ、自分は何ということをしたのか。
 後悔の念に苛まれながら、本橋は猿川の部屋の前に立った。夕食の誘いも無下に断られ、しかし何も食べずにいることはできないはずであるから、おにぎりを握ってラップをかけて、それを皿に乗せて持ってきたのである。コンコンコンと三回ノックをしてみるが、中からの返事は無い。
「猿ちゃん、さっきはごめんね」
 声をかけてみるが、中からは声はおろか、物音すら聞こえない。そっと扉に手を掛けてみると、夕食に誘ったときまではあった猿川からの抑止は一切なく、いとも簡単にそれは開いた。
 いつの間に抜け出したのか、部屋の中はもぬけの殻であった。いつも乱雑に物が置かれているこの部屋は、このときにはさらにひどい有様で、人が暴れ回ったような痕跡が随所に見られた。さらには家具の引き出しという引き出し全てが開け放たれた状態になっていて、まるでこの部屋だけ空き巣に入られたかのようであった。猿川がどこに行ったのかは分からないが、彼が夜に勝手に飛び出していってしまうことは日常茶飯事であるし、本橋は取り敢えずこの部屋の片付けに手を付けることにした
 おにぎりの皿は適当なところに置いておいて、引き出しを全て閉め、倒れた家具は元に戻し、ごみと思われるものは一箇所にまとめた。
 と、ふとそのごみの中に同じようなものがいくつもあることに気が付いた。錠剤が入っていたであろう容器が何個も何個も見つかるのである。全て同じ赤色をしてい、錠剤が入ったままのものは一つも無かった。
「こんな薬うちには置いてないんだけどな……」
 不思議に思いながらも、本橋はごみ袋を持ってこようと思ってよいしょ、と立ち上がろうとして。
 背後からガチャリとドアノブを回す音が鳴るのを聞いた。彼は振り返らなかった。しかしその音の主が猿川であることは分かった。しばし、息の詰まるような沈黙が狭い部屋の間にすっと通り過ぎた。
 猿川はバッと踵を返した。バタンと大きな音を立てて扉が閉まった。
 本橋はハッとして立ち上がり、勢いよく扉を開いてまだすぐ目の前の距離にいた猿川の上着を引っ掴んだ。
「猿ちゃん、ごめん、失礼なことをしたのは分かってる、本当に、そんなつもりは無かったんだけど、でも」
「離、せ!」
 猿川は身をよじって、本橋の手から逃れようと必死に足掻いた。
 しかし本橋の手は決して猿川から離されることは無かった。彼は下唇を噛みながら猿川の腕をがっしと掴み、猿川の部屋の中に猿川を引き込むように後退した。
 兎に角話し合いをしなければならなかった。自分は猿川のSub性を知ったからと言ってどうこうするつもりはないということ、先のコマンドは意図せず出たもので、決して猿川に指示をするためのものではなかったということを分かって貰えねばならなかった。
 彼は半ば引きずるようにして部屋に猿川を引き込み、バタンと扉を閉めて、逃げ道を塞ぐようにその前に立ちはだかった。
「……退け。早く出てけよ」
「猿ちゃん、話を聞いて」
「殴るぞ」
「殴ってもいいけど、でも僕の話も聞いてよ」
「……」
 猿川はふっと黙って、床にどしりと腰を下ろして本橋を睨みつけた。
 本橋はこれを了解の意と解釈して自分も床に屈んだが、先に口を開いたのは猿川であった。
「次はどんなコマンドを出すんだよ。『Come』? 『Stay』? それとも何だ、『Good boy 』って犬にするみてェに頭撫でりゃ満足かよ。あ? 今まで俺たちはいいダチだったよなァ。俺たちは対等だった。それがよ、お前がDom、俺がSubって分かっちまえば、お前は俺を軽蔑するし、俺はお前のいいおもちゃになるってわけだ」
「違う猿ちゃん、そんなこと言いにきたんじゃないってば」
「何度だって言うぜ。俺は誰からの指図も受けねェ。DomだろうがSubだろうが関係無い、俺のことは俺が決める」
「ね、違うんだって。僕は君に謝りたいんだ」
「……何を」
「今朝、間違ってコマンドを出しちゃったこと。自分がDomだなんて、あの診断結果が届くまで本当に知らなかったんだよ。だって僕は前向きで自発的な奴隷なのに……、人に命令を下すなんてそんなこと、できっこ無いんだよ。正直アイデンティティーを奪われたような気がして、物凄くショックだった。あの結果は誰にも見られたくなかったし、自分でももうあのことは忘れようと思ってた。だから猿ちゃんにあれが見られて、なんか焦っちゃって。……ただの言い訳なんだけどね。でも本当に、あのコマンドは思わず出ちゃったもので、だからそう、あのときは猿ちゃんがSubだなんて思わなかったし……。上手くまとまらないけど、ごめんね。きっと僕には想像つかないくらい、不快な気持ちをさせちゃったと思う」
「……」
「それから……、猿ちゃんがSubだからってどうこうしようってことは全く考えてないから。猿ちゃんが誰かから指図を受けるのが嫌いってのは僕もよく理解してるし、何よりも僕が嫌なんだよね。人に何か言ってもらわないと、何もできないんだもん、僕」
 本橋はここまで一気に話して、それから猿川の反応を待った。
 猿川は黙りこくって、床の一点をじっと見つめていた。
 しばらく沈黙が続き、とうとう痺れを切らした本橋が「猿ちゃん?」と呼びかけると、猿川は小さな声でぼそりと何事かを呟いた。
「えっ、何?」
「……」
「ごめ、聞き取れなかっ」
「……悪かった」
「え」
 本橋は言葉を失った。猿川の謝罪の言葉を聞いたのはほとんど初めてに近かった。彼が自分の行動を詫びるような言葉を発したという事実を、本橋は受け入れられなかった。そもそも謝られるようなことをされた覚えが無い。
 本橋は大いに困惑したが、猿川はその後もぼそぼそと言葉を紡いだ。
「いおがそんな奴じゃねェってのは分かってる。お前は根から馬鹿みたいに世話焼きで、優しい奴だってことも。伊達にガキん頃から一緒に居るわけじゃねぇし」
「う、ん……」
 本橋は途端に気まずくなって、落ち着きなく視線をきょろきょろ動かした。こんなに唐突に褒められると、どうしたら良いものか分からなくなる。
 自分のしたことに比べれば猿川の行為はむしろあって然るべきものであったのだから、返せる言葉も無い。
 どうにか話題を転換させられぬだろうかと一生懸命思考して、あ、と思い出す。
 あの大量の錠剤は一体何なのか。
 元はと言えばあのごみをまとめようと思っていたのだから、折角である、聞き出してみようと猿川に目を向ける。……と、猿川の瞳は閉じられ、体は前後にゆらゆらと揺れていた。どうしたのか知らと見ていれば、彼の体が急にバタンと倒れた。



 バタバタと取っ組み合ったり些か大きな声で喋っていたこともあって、部屋が近い草薙理解と、仕事から帰ってきていた天堂天彦が心配して様子を見に来た。
 本橋は猿川が倒れてからスッカリ憔悴して頭が石の乗っかったように重く、心臓が忙しなく鼓動してろくに立っていられなかった。
 天堂はDom/Sub性について妙に詳しく、本橋に様々なことを伝えてくれた。天堂曰く、まず猿川が倒れた原因は本橋にあるという。
「依央利さん。ご自身では気が付いていないでしょうが、あなたからは相当強いGlareが出ています」
「Glare……って、何でしたっけ」
「明確な説明は難しいですが、Domが持つ特有の気迫、のようなものでしょうか。Subを従わせるときに発したり、これの強さでそのDomの格が決まるものです。猿川君は多分、君の強いGlareにアテられて体調を害したのでしょう」
「はあ。で、でも、僕、猿ちゃんにコマンドを出したのは一度きりで、それもわざとじゃないんです」
「コマンドを出さなくとも、Glareが出てしまうことはあります。……意図せずにそれほど出てしまうとなると、Dom性の暴走も視野に入れなくてはならない」
「暴走?」
「依央利さんは最近まで自分がDomである事実を知らなかったが故に、Domとしての欲求を無視してしまっていた。決して自覚が無くとも体には大きな負荷がかかっているはずです。その結果Dom性の暴走を引き起こし、意図せずしてGlareが放出されてしまうんです。君の意思に、君の本性が抗おうとしている」
「……そんなこと、知らなかった。じゃあ僕がもっと早くこのことに気付いていれば……」
「自分を責める必要はありません、依央利さん。知らない人のほうがうんと多いんですよ」
 本橋は脱力して、床にへたり込んだ。自分の無知を呪い、恥ずかしく思った。
 なぜあのとき、猿川に誤ってコマンドを出してしまったとき、自分のDom性について調べようと思わなかったのであろう。否あのときばかりではない、きっと今まで猿川は、知ってか知らずかは定かでないけれども、ずっと本橋のGlareによる体調不良に悩まされていたはずである。そしてあの錠剤は……。
「猿もまあ、こんなことになるまでよく耐えたものですよ。……薬は用途用量を守らなけりゃ意味が無いってことを教えてやらないと」
 草薙が錠剤の空き箱を手に持って中の説明書を取り出しながら言った。
 あれはSub性の抑制剤であった。猿川の体調不良の一因として、この抑制剤を過多に摂取していたこともあげられる。
 本橋はウウと唸った。いかに考えても非があるのは自分であった。
「Glareを抑える方法は無いんですか、薬とか」
「Glare自体がまだ謎の多い存在ですからね。この抑制剤も、Sub用と銘打ってはいますが効能は他の薬とほとんど変わらないんです。ただ、Subに少しだけ効きやすいというだけで」
「えぇ……」
「Glareを抑えるのに一番手っ取り早いのは、パートナーとプレイをすることです。Dom性が満たされれば暴走は収まりますから。ただ……」
「Subとパートナーを組むには相当の信頼関係と相互の同意が必要です。猿はマァ……こんなタチでは絶対にノウと言うだろうし、プレイで主導権を握るのはSubの役目です」
 草薙が天堂の言葉を途中から引き継ぎ、懇願するような目でこの状況の打開策を尋ねる同居人に事実を伝えた。
 天堂はDom用の風俗店もあるにはあることを知っていた。が、政府からの線引が曖昧なのを良いことに倫理観ぎりぎりのところで経営している店が多く、大人として若人に勧めるのは憚られる。
 できることならば本橋と猿川がパートナーになり、プレイによって互いの欲求を満たし合うのが望ましい。
 ああ二人の性別が逆であったなら事が拗れることも無かったのに。
 この場に居る──猿川を除く──全員が神の無慈悲な采配を呪った。
「取り敢えず、今夜は解散しましょう。猿川君の面倒は私が見ますから」
 天堂がこう言ったので、本橋は草薙と共に猿川の部屋を後にした。今回ばかりは、「それは僕の役目!」なんて駄々は捏ねていられなかった。草薙が気を遣って「そうだ。私、夜食が食べたいなァ」とこれ見よがしに言ってきたので、本橋はしょんぼり肩を落としながら暗い台所でおにぎりを握った。



 本橋は、急に体を撫ぜていったひやりと冷たい風にぶるっと身震いをして目を覚ました。ぼんやりとした頭で周りを見回すと、どうやら台所に座り込んで寝落ちてしまったようである。
 ふと、先からジャーッという音が上から聞こえてきていたのに気付き、立ち上がって確認してみれば蛇口から水が流れていた。一晩中このままであったのかと思うとゾッとして、急いで蛇口を閉める。
 恐る恐る横に視線を動かすと、皿と、米を冷凍するための容器が、カチカチに固まった米粒を付けたまま放置されていた。はぁと大きく息を吐き、いつ寝たんだろうかと昨夜の記憶を掘り起こしながら皿を水につける。
 確かあの後、草薙がおにぎりを食べ終わり、洗っておくから、と、夜中の食事に罪悪感の隠しきれていない草薙を横目に皿を回収して……。そこからの記憶が無い。
 皿などは兎も角、一晩中水を流して一体水道代がいくらになってしまうのかということが恐ろしい。皆に謝らなければなと思いながらこびりついた米と格闘していると、各々の部屋のある方向から足音が近付いてきた。
「随分早起きですね。それとも寝ていないのですか」
 足音の主は天堂であった。
 猿川だったらどうしようと体を強張らせていた本橋は、ほっと胸を撫で下ろし、「さっき起きたところです。ここで」と苦笑を浮かべた。
「ここで?」
「へへ、寝落ちちゃったみたいで。……あの後、理解君に夜食を作ったんです」
「夜食。理解さんが。珍しいこともありますね」
「僕に気を遣ってくれたんですよ」
 天堂はダイニングテーブルの席についた。
 本橋はあの後猿川がどうなったのかが気になったけれど、それを聞くのが何か少し恐ろしくもあり、天堂から言い出してくれればなと期待を寄せながら皿に付いた水滴を布巾で拭き取った。
「では私は眠気覚ましに珈琲を頼もうかな」
「はーい」
 天堂が本橋の瞳を覗き込みながら微笑んで言ったので、本橋はサッと視線を逸して普段通りの返事をした。この珈琲を淹れて彼の前に置いたら、そのときに話が始まるのであろうということが予感されて、体が緊張した。
 珈琲をカップに淹れて天堂の前にことさら恭しくそれを置くと、天堂は視線で向かいの席につくよう本橋を促した。
 学生時代の教師との面接を思い出し、本橋は落ち着きなく髪の毛をいじりながら席についた。
「……Dom/Sub性の検査対象を成人に限定するのは宜しくない。あの検査に強制性はありませんから、……今回のようなことはよく起こるんです」
「……はい」
「自分の性と向き合う時間は、どんな人にも平等に与えられるべきものです。それは自分のためであり、これから出会う大切な人々のためでもある。それが十分に与えられない今の世の中は不健全です。君のような若者を、少なからず見てきました」
「……」
「君は服従のカリスマ。他に貢献することに関してのプロフェッショナルだ。これは君の才能でありアイデンティティ。……それが、Domという性によって失われるようで恐ろしいのでしょう」
 猿川の容態についてを聞かされるものだと身構えていた本橋は、拍子抜けしながらも天堂の言葉を聞いた。
 彼の言葉には説得力があり、彼の顔には、まるで優しい父親のように心に寄り添ってくる表情があった。なぜか本橋は、ともすれば泣きたくなるような感情に駆られた。口を開けばぎりぎりのところで抑えているものが決壊してしまいそうで、黙りこくって小さく頷く。
 確かに自分は怖かったのだ、自分が奴隷として必要とされなくなることが。
「しかし依央利さん、君はDomになるべくしてなったのです。そのことを受け入れなければなりません」
 天堂はカップを傾け、カップ越しに本橋を見つめる。
「人の短所が裏を返せば長所になるというのはよく聞く話です。当然逆も然りなわけですが、依央利さん。君の第二の性が君のアイデンティティを失わせるものではないということを忘れないでください。寧ろそれは、内なる欲望を開放するための鍵となるものなのです」
 本橋は、天堂が何を言っているのかが分からなかった。要所を避けて遠回しに話されているようでもどかしかった。
 どういうことなのか問い正そうとすると、天堂は「ご馳走さまでした」と言って席を立ったので話しかけるタイミングを失った。
「美味しかったです、ありがとう。猿川君ですが、もうすっかり元気になったようです。後でお水でも持っていってあげてください」
 天堂はこれだけを言い残して部屋に戻ってしまった。
 本橋は口を聞けず、しばらく席についたまま珈琲のカップを見つめていた。



 本橋は迷っていた。
 水を注いだコップを手に台所を右往左往し、少し足を外に踏み出してみて立ち止まり、意味も無くシンクの水滴を拭き取ってみたり、居間の時計を確認したりと落ち着きが無い。
 冷や汗がうなじやこめかみのあたりにすっと流れて、暖房の効いた部屋にあっても指先には血の気が通っていなかった。
 他人のための行動を起こすのにここまで悩むのは初めてであった。しかもたかが飲み物を渡して戻ってくるという容易な作業である。馬鹿みたいだと思いながらも、本橋は中々台所から出ることができなかった。
 猿川に水を持っていくのを遠慮しているのであった。だって、また自分のGlareで体調を崩させてしまってはいけないから。昨日の今日である、猿川はまだ怒っているだろうし、多分本橋の顔も見たくはないだろう。
 ではなぜ放っておかないのかというと、天堂が考え無しに「お水でも持っていってあげてください」と言ったとは思えないからである。
 彼は一見変態性癖を持ったおかしな男であるけれども、思慮深い一面があるのは確かで、だから本橋は彼の言葉が意味のあるものと信じるのであった。
 本橋は深呼吸をした。そして台所から足を踏み出し、猿川の部屋にゆっくりと向かった。
 出ていけと噛みつかれればそれまで、もしも迎え入れてくれたら、昨夜の件も含めて謝らせてもらおう。
 コップの中の水が、本橋から伝わる振動で小刻みに揺れる。
 扉の前に着いた。猿川はこの向こうにいる。
 なるべく何ともないような顔で、抑える術など知らないけれどもGlareを出さないように意識だけはして、極力刺激をしない声音で……。
「いお?」
「ッわ、エッ、はいっ」
 ノックをしようと右手を振りかぶった途端、中から自分の名を呼ぶ声がした。紛れもなく猿川の声であった。
 なぜ分かったのか。
 本橋は驚いてしどろもどろの返答をした。体をびくりと揺らしたせいで水が足元にバシャッと溢れた。
 すぐに扉が開き、中から猿川の顔が覗いた。寝ていたせいか髪の毛が中途半端に崩れていて、手で無理矢理かきあげたのであろうということが伺えた。
 彼は濡れた床を見て怪訝な顔をし、そして本橋の手元を見て納得したような顔をした。
「これ、お水、喉乾いたでしょ」
「……ン」
 本橋は水を溢したことに気付かず、緊張で乾いた口から無理矢理言葉を押し出しながらコップを猿川に差し出した。
 猿川は大方水の溢れてしまった軽いコップを受け取ってゴクリと一気にあおると、「入れよ」と言って扉の中に戻っていった。
 本橋は啞然とする。もっと激しく抵抗されるものと思っていたから、勇者にしか引き抜けない聖剣を思わず引き抜いてしまった主人公のような顔をしておずおずと歩を進める。
 先程溢した水を裸足で踏んでいることにも気が付かずに中に入って後ろ手に扉を閉じると、猿川は床に胡座をかいて顎でこの前に座れと示した。
 この部屋には何度も出入りをしているはずが、想定外の歓迎のせいで本橋の態度は妙にしゃちほこばり、「ア、ハイ……」と小さな声で言って猿川の前に正座した。
「いおもあいつに何か言われたんだろ」
「あ、あいつ?」
「天彦」
「あ、うん。天彦さんね……」
「……あのことも聞いたんだな」
「あのこと?」
 猿川の態度は飽く迄も以前と変わらなかった。
 本橋は正座を崩し、自分も胡座をかいて猿川の言葉に応えた。
 本当は開口一番に謝りたかったが、先を越されてしまった。
 「あのこと」とは何を指すのか分からないが、体調のことならば聞き及んでいるので曖昧に頷いてみる。
 すると猿川は大きな溜め息を吐いて、それから本橋の目をジッと見つめた。これは獲物の品定めをする肉食獣と同じ仕草であった。
「いいか」
 猿川は低く言った。
「これは互いのために必要だからやるんだ。俺は俺の、お前はお前の欲求を解消するためだけの行動ってことを忘れんなよ。お前が例えば変な気ィ起こして俺を支配の下に置こうモンなら……」
 分かってるな?
 最後まで口には出さなかったが、猿川の目はこう言った。
 そして本橋は……、分からなかった。互いのためとか必要だとか、何の話をし始めたのかとびっくりしてしまった。大きなすれ違いが起こっているらしいことを察して、本橋は小学生みたいに右腕をピンと宙に掲げた。
「ごめん猿ちゃん、何の話?」
「あ?」
「え? 僕が天彦さんから聞いたこと、『体調良くなったよ。水持ってってあげて』くらいだったけど」
「は? じゃあどこまで聞いたんだよ」
「多分猿ちゃんが話そうとしてることに関しては何も聞いてないと思う」
「え、じゃあ、あいつ何しに来たのお前のとこに」
「分かんないけど……、じゃあ猿ちゃんが教えてよ。『俺のこと』って何なの?」
 猿川の顔から険しい表情が消え、いつものような表情が帰ってきた。本橋はそれを見て少しホッとし、先の猿川の言葉の意味について尋ねる。
 猿川は低い声でウーンと唸った。そしてフゥと大きく溜め息を吐くと、今度は短く息を吸って話し始める。
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