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#脈絡無し
seizansou3年前個人的に音楽が大好きで、音楽で感じたイメージが話のネタになることが多い。
それとは別に、こういう魂が奮い立つ曲を聴くと、「書くしかねえ」ってなる。心に火がつく。
https://youtu.be/9Ul1fGwiFd0
この曲の印象的な部分を引用しようとすると、それは歌詞カード丸写しになってしまう。
ただ、特に挙げるなら、「テレビ、ラジオでこの曲が流れるより、貴方の口からこの曲が流れたとき、世界を変えたと胸を張れる」。
薄い大衆受けより、誰かの人生に届きたい。そう強く思う。

音楽には音楽でしか表現できない領分がある。
絵には絵でしか表現できない領分がある。
文章には文章でしか表現できない領分がある。

理性には理性でしか解釈できない領分がある。
感情には感情でしか扱えない領分がある。
体験には体験でしか感じられない領分がある。

文章という領分の端から端まで使って、理性、体験を横断して、自分の感じたことを伝えたい。
言葉の美しさよりも、伝わる言葉で、自分の中にある感動を共有したい。

でもそれはうまくいかない。

現実として、一次創作はそう簡単には見てもらえない。
見てもらえたとして、読み切ってもらえるほどの面白さを提供出来ていない。
読み切ってもらえたとして、感動が伝えられるほどの構成になっていない。

頑張れば自分はもう少し良いものが出来るはずだ。
時間をかければ自分はもう少し良いものが出来るはずだ。
そんな思いがいつもある。
けれどそんなことをしていたらいつまで経っても何も出来上がらない。
だから今の自分の実力を受け入れて、書き上げて、公表して、落ちこんで、また新しいお話作りに手を着ける。

日常の仕事だって人の役には立ってるんだろう。
だけれどそういうことでは無くて、役に立つかよりも、ただただ、この感動、この思い、このイメージを伝えたい。

そんなことを考えたりしながら、仕事終わりに今日も自分の不出来なお話をみて、道の長さに息を吐く。
もはやこの思いは呪いのようなものに感じられる。
でもそうやって這いつくばって吐き出した文章に、一人二人がリアクションをくれると、それだけでもう少し這いつくばろうと思ってしまう。
結局それが嬉しいから、そうしてしまうんだと思う。
「嬉しい」だけでは人間生きていけないんだろうから、納得いかないまま吐き出す苦しみも必要なんだろう。
わかりみがすごい